💡 公表されなかった20年の真実──元妻との“最期の約束”
2025年5月13日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』で、俳優・宮川一朗太さん(59)が語った「元妻の看取りエピソード」が大きな反響を呼んでいます。
離婚から約20年が経ったいま、宮川さんは末期がんとなった元妻を自宅で迎え入れ、娘とともに看取ったと明かしました。
「不思議な生活が始まるのかなと思ったら、翌日に旅立ちました」
という一言に、スタジオはしんと静まり返り、SNSでは称賛と涙の声が広がっています。
👨👧👧 シングルファーザーとしての“誓い”と覚悟
▶️ 離婚は2005年、公表は2013年
宮川さんは1990年にフリーライターの女性と結婚し、2人の娘に恵まれました。
しかし2005年に離婚。その事実を公表したのは、実に8年後の2013年。
「娘が20歳になるまで、公表しないと約束していたんです」
と明かしています。
▶️ 家事・育児・仕事を“全部1人で”
男手ひとつで2人の娘を育て上げた宮川さん。
当時は周囲に頼ることもできず、スーパーで買い物していると「優しい旦那さんですね」と声をかけられ、苦笑するしかなかったとか。
その影には、芸能活動と子育ての両立という、見えない努力があったのです。
🌀 離婚前には「2年間の家出」も──複雑な夫婦の歴史
2015年に出演したフジテレビ系『ノンストップ!』では、こんな驚きの事実も明かされました。
「大げんかの末に“出て行け”と言ったら、そのまま2年間帰ってこなかったんです」
そしてある日、突然「明日帰る」と連絡があり、一時的に夫婦関係は修復。
しかし、最終的には別々の道を歩むことを決断したのです。
🏠 元妻の“最後の願い”を叶えた家族の決断
離婚後、元妻は南の地方に移住。
7~8年前にがんの手術を受けるも、2年後に再発し、末期がんと診断されました。
「地元では治療が難しくなり、東京の病院に転院することになったんです」
しかし、元妻はこう言っていたそうです。
「病院は嫌だ。病院じゃないところにいたい」
その願いに応えるため、長女が「私が世話する」と申し出。
ベッドや酸素吸入機を準備し、宮川さんの自宅で看取ることが決まったのです。
🌸 翌日に旅立つ──「病院じゃない景色にホッとしたのかな」
「元妻との不思議な生活が始まるのかな」と思っていた矢先、なんと──
迎え入れた翌日に旅立ったといいます。
「ベッドから見る景色が病院じゃないとわかって、ホッとしたのかも」
「そんな話を娘としました」
まさに“最期の願い”が叶った瞬間。
言葉にならない思いが、静かに胸に広がります。
📱 スマホに残っていた「未送信のありがとう」
看取りのあと、遺品整理中に発見されたのが、元妻のスマホに残された未送信のLINEメッセージ。
「お見舞いに来てくれてありがとう」
意識がもうろうとする中で打たれたであろうその文字に、宮川さんは
「込み上げるものがありました」
と涙ながらに語りました。
📘 宮川一朗太プロフィール|バイプレーヤーからナレーターまで
生年月日:1966年3月25日(東京都新宿区出身)
身長:171cm/血液型:A型
所属事務所:グリーンメディア
芸歴:1983年〜(『家族ゲーム』でデビュー、日本アカデミー賞新人賞)
声優・ナレーター・競馬キャスターなど幅広く活躍し、
近年は『半沢直樹』『THE LAST COP』で新境地を開拓。
また、マイケル・J・フォックスの公式吹き替えでも知られ、
競馬番組『ドリーム競馬』のキャスターや、漢字検定準1級の知識を活かして『東大王』にも出演。
2021年には演技指導も行う学習塾「いち塾」を開設し、若手育成にも力を入れています。
💬 視聴者の声|「人として立派」「涙が止まらない」
🟡「元妻を看取るなんて簡単にできることじゃない」
🟡「未送信のLINEが泣ける…」
🟡「娘たちも含めて、素敵な家族だったんだなと感じた」
特に「家出→離婚→再会→看取り」という一連の流れは、現代の家族像に対する深い問いかけを投げかけています。
📝 まとめ|切れた縁も、いつかまた“つながる”ことがある
家族とは、血のつながりだけでは測れないもの。
たとえ離婚しても、人生のどこかでまた“交差”することがある。
宮川一朗太さんの今回のエピソードは、
**「大切な人との向き合い方」「最期をどう迎えるか」**について静かに問いかけてくれるものでした。
別れた相手に“ありがとう”を言える人間でありたい。
そんな想いが、きっと多くの視聴者の胸に残ったはずです。