🎬7人から6人へ──BE:FIRSTの再構築は“進化”か“劣化”か?
2025年7月、BE:FIRSTは重大な転機を迎える。
メンバー・三山凌輝(RYOKI)の活動休止と独立を受け、グループは6人での新体制へと移行。
だが、単なる“人数の変化”に留まらず──
ファンの信頼、ブランドの再定義、そしてBMSGという事務所の在り方までが問われる状況となっている。
🔹1. BE:FIRSTが“6人制”になって失ったもの・得たもの
🕺パフォーマンス構成の変化
BE:FIRSTは、デビュー当初から7人のバランスを前提に設計されたグループだった。
歌割、フォーメーション、キャラ配置……そのすべてが、「7人でひとつ」を前提に成立していた。
RYOKIの脱退により、それが崩れることは明白だ。
ライブパフォーマンスやビジュアル面での“再調整”は必須となる。
👥ファンダム構造の変化
RYOKIはスキャンダルを抱えながらも一定の人気と話題性を担っていたメンバー。
彼の脱退によって、
ライト層(浮動票的ファン)の離脱
コア層(6人を守る側)の団結強化
という**“ファンベースの二極化”**が進んでいる。
これは、グループにとってプラスにもマイナスにも働きうる要素だ。
⚖️「7人で完成」だったバランスの再定義はできるのか?
一部ファンの間ではすでに、
「7人でのBE:FIRSTが本当のBE:FIRSTだった」
「今は別グループになってしまったように感じる」
といった声も出始めている。
この“喪失感”を乗り越え、新しいBE:FIRSTをどう魅せるか──
これが、6人に突き付けられた最大の課題だ。
🔹2. SKY-HIの戦略は限界を迎えているのか?
🎙育成×マネジメント×プロデュースの“三位一体”モデルの課題
SKY-HIはBMSG設立時から、
「アーティストの尊厳を守る」「育成からデビューまで一貫して支える」ことを掲げてきた。
その姿勢は称賛される一方、今回のような“炎上”や“信頼崩壊”に対しては、
感情的判断が先行してしまう危うさも露呈した。
🧩“家族主義”と“商業性”のすれ違い
SKY-HIは今回、RYOKIに対し「独立という意思を尊重した」と語った。
だが、それはビジネスとして正しい判断だったのか?
ファンからは、
「甘すぎる処分」
「美談で終わらせようとしすぎ」
「グループの信頼が最優先だったのでは?」
という声が多く上がっており、
“家族主義”が逆にブランド価値を毀損したとも言える。
⚠️アーティスト主導のメリットとリスク
BMSGは、アーティストの自由を尊重する反面、
“自分で責任を取らせる”というスタンスが強く、
トラブル時の一貫性や危機対応力が弱い印象を残した。
今後は**「感情」だけでなく「構造と対応力」も求められる時代**に突入している。
🔹3. 他社なら脱退案件だった…BMSGだけが選んだ“独立”処分の意味
🏢J事務所、HYBE、LDHならどうした?
他の大手事務所であれば、
・スキャンダル発覚直後に脱退発表
・ファンへの謝罪会見
・ブランドを守る迅速な処分
…といった対応が“常識”となっている。
BMSGが“独立”という形を取った背景には、
SKY-HIの信条(守る側でいたい)
BMSG内での契約構造(個人とレーベルが並立)
タレント側への情の深さ
などがあったとされる。
🧠それは新しい“芸能モデル”なのか? それとも甘さなのか?
今後、アーティストがトラブルを起こした際に、
**「独立という逃げ道を用意しておく」**という処分形式が定着するのか。
この件は、芸能界にとっての“分水嶺”になる可能性もある。
🔹4. 「ブランドか、才能か」BE:FIRSTが直面する再選択
🎭個人活動の比重が高まる可能性
RYOKIのように、俳優業・個人メディア・SNS発信にシフトしていくメンバーが出れば、
グループは“集合体”ではなく“個の集まり”になっていく。
「グループである意味」を保つには、
あえて“1人でできないこと”に挑戦する必要がある。
🧠「BE:FIRST」というブランドの再定義
今、BE:FIRSTにとって最も必要なのは──
“6人になった意味”の再構築
“7人ではなくなった”ことへの誠実な説明
“今の自分たち”を正直に語る姿勢
ブランドは、外見ではなく**「何を伝えるか」で決まる**。
🔗シリーズ全記事リンク(①〜③)
▶️ 三山凌輝の“懺悔インタビュー”に賛否!
▶️ 三山凌輝の“活動休止”は甘すぎる?
▶️ BE:FIRSTは“6人で再出発”できるのか?
🧭まとめ|今こそ問われる、“BE:FIRSTである意味”
信頼は一瞬で崩れる。
取り戻すには、時間と覚悟が要る。
三山凌輝の離脱によって、グループは大きく揺れた。
しかしそれは、進化のチャンスでもある。
今、BE:FIRSTが本当に「BE=自分自身」であるならば──
その名にふさわしい“言葉と姿勢”で、再び立ち上がるしかない。