作家、映画監督、脚本家、画家──。
多彩な才能で多くの人を魅了した大宮エリーさん。
そんな彼女が晩年、最後の情熱を注いだのが「画家」としての活動でした。
2024年、京都・妙心寺の塔頭「桂春院」で開催された襖絵展。
そこには、大宮エリーさんの生き様と、鬼気迫る創作への執念が色濃く刻まれていました。
この記事では、
襖絵展の概要
制作の舞台裏
ファンや来場者たちの感想
エリーさんが遺したメッセージ
をたっぷりとご紹介します。
彼女が描いた“心の桃源郷”に、今、もう一度触れてみましょう。
京都市右京区に位置する妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山として知られる歴史ある寺院。
その塔頭のひとつ、**桂春院(けいしゅんいん)**は、美しい庭園と静謐な空気で訪れる人を魅了しています。
そんな桂春院で、
2024年11月15日〜12月8日、
特別展【桃源郷を見つけに行こう〜お寺でresort〜】が開催されました。
テーマは「桃源郷」。
忙しい日常を離れ
心を解き放ち
新たな自分に出会うための場所
そんな理想郷をイメージして、
大宮エリーさんは24枚の襖絵を描き上げました。
桂春院の静寂な空間に、
彼女の自由な色彩と感性が、鮮やかに溶け込んでいたのです。
制作中、大宮エリーさんはSNSでこう語っています。
「実はあまり体調も万全ではなかったので、不安がありました。
でも襖絵に取り組むとき、異様な、鬼気迫るものがありました。」
──これは並大抵の挑戦ではなかったことを物語っています。
心身ともに限界を感じながらも、
彼女は筆をとり続けました。
花咲き乱れる春
緑滴る夏
色づく秋
静寂の冬
四季のうつろいをテーマに、
生命のきらめきと儚さを、襖絵に刻みつけたのです。
来場者からはこんな感想が寄せられました。
「一面に広がる色彩に、心が洗われました。」
「エリーさんの絵は、見ているだけで涙が出そうになりました。」
単なる絵画展ではない、
魂のこもった空間体験だったのです。
展覧会終了後、大宮エリーさんはこう投稿しました。
「なんとかやりきりました。
作品は、見てもらって初めて完成する──
そう改めて思いました。」
創作とは、
「自分だけのもの」ではない。
「誰かに届けて、共鳴して、初めて完結するもの」──
彼女は最後の最後まで、
その想いを大切にしていました。
病と闘いながら、
それでも筆を止めなかった大宮エリーさん。
彼女がこの展覧会に込めたものは、
「ありがとう」
「生きる喜び」
「小さな奇跡」
そんな、たくさんの想いだったに違いありません。
なぜ、大宮エリーさんは「襖絵」という、日本の伝統文化に挑んだのでしょうか?
それは、
「自分の内なる世界」を、より広く、より自由に表現するため
「時間」や「言葉」を超えた、ダイレクトな感情の交換を求めたから
だったのではないでしょうか。
彼女の作品には、
技術的な技巧を超えた「純粋な感情」
誰のためでもない「自分自身への手紙」
そんな、心からのメッセージが込められていました。
襖絵というキャンバスに、
彼女は「生きることそのもの」を描いたのです。
SNSや来場レポートから、印象的な声をいくつかご紹介します。
「言葉では表現できない感動をもらいました。」
「ふすまの向こうに、エリーさんの心が見えた気がします。」
「体調が悪かったなんて信じられない。エネルギーにあふれていた。」
「これが“桃源郷”か、と心の底から思えた展覧会でした。」
これらの声は、
大宮エリーさんが命をかけて創り上げたものが、
確かに多くの人に届いたことを示しています。
京都・妙心寺 桂春院で開催された、
大宮エリーさんによる襖絵展──
それは単なる展覧会ではありませんでした。
疾走するように描かれた筆跡
優しさと、力強さが同居する色彩
見る人すべての心にそっと寄り添う世界
エリーさんが遺してくれたのは、
「生きることへの祝福」だったのかもしれません。
そして私たちは、
この“心の桃源郷”を、
きっとこれからも心の中に持ち続けるでしょう。
この記事では大宮エリーさんが手がけた襖絵展を詳しくご紹介しました。
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大宮エリーさん、素晴らしい作品を本当にありがとうございました。