📅2025年6月25日――
TOKIOが“正式に解散”を発表したこの日、福島県庁に1本の電話がかかってきた。
☎その発信者は、 TOKIOのメンバー・松岡昌宏さん。
内容は…「謝罪」だった。
📞 松岡昌宏、誰よりも先に“謝罪の電話”
福島県に謝罪の電話を入れたのは、TOKIO課を管轄する「風評・風化戦略室」の半沢浩司理事。
この件について、県側はこう説明している。
「6月25日、松岡昌宏さんから、今回の件に関して謝罪の趣旨の電話を受けました。TOKIOメンバーからの連絡はこれが初めてでした」
🎤福島県とTOKIOは、10年以上の強固な関係性を築いてきた。
震災後の“風評被害”を払拭するため、2012年から毎年PR活動を続け、
2021年には福島県庁内に「TOKIO課」まで設置されたほど。
📌**その看板を背負ってきた人物の1人として、“松岡さんは誠意を示した”**のだ。
🧑💬「まつお課」と呼ばれるほどの信頼と、コメントの嵐
Yahooコメントでは、松岡さんの行動に心を打たれたという声が続出。
中には“TOKIO課”をもじって「まつお課」と呼ぶ投稿もあり、人柄への信頼がにじみ出ている。
📣代表的なコメントをピックアップ👇
🗣️「筋を通す姿勢がかっこいい。今の時代、こういう人は貴重」
🗣️「チャラいイメージだったけど、見直した。誠意ある行動に感動」
🗣️「DASH村でも城島を責めず褒めたシーン、あれが松岡なんだよね」
🗣️「謝るのは国分じゃないの? それでも松岡が電話した。泣けた」
🔥特に注目されたのはこのエピソード👇
「ベビーカーを押していた子どもに、松岡さんが京都駅で丁寧に挨拶してくれた。テレビが回ってなくても、礼儀正しい人だった」
📌**“カメラがない場所でも人柄が出る”という証明**に、共感の嵐が巻き起こっている。
🏛「TOKIO課」が設立された理由とは?
福島県には、2021年に**「TOKIO課(正式名称:企画調整課風評・風化戦略室)」**が設立された。
その背景には、株式会社TOKIOと福島県の官民連携プロジェクトがある。
📍設立のきっかけは、城島茂さんが社長を務める株式会社TOKIOが「福島を楽しんでもらうプロジェクト」を発足したこと。
福島県の公式発表では、こう記されている。
「株式会社TOKIOと連携し、福島県の魅力を広く発信するために、窓口(コンシェルジュ)として『TOKIO課』を立ち上げました」
🌾この“行政に課をつくるレベル”の信頼関係が、今回の“謝罪”をより意味あるものにしている。
🎪 TOKIO-BAと「フクシマBAルシェ」も展開
TOKIOと福島の関係は、CMやテレビ番組だけにとどまらない。
📍西郷村にある「TOKIO-BA」では、**地元と連携したリアルイベント「フクシマBAルシェ」**も開催されてきた。
「DASH村の精神」を受け継ぐこの施設も、解散後どうなるかは未定だが、
松岡さんや城島さんが個人として関わり続ける可能性は大いに残されている。
🔍なぜ“松岡昌宏”だけが謝罪したのか?
今回の謝罪電話は、「コンプライアンス違反の当事者」である国分太一さんではなく、松岡さんが行った。
この点について、コメントでは次のような声が目立つ。
🗣️「普通なら、国分さん本人が謝るべき。でも松岡さんがその役を引き受けた」
🗣️「それが“背負う人間”の姿勢。看板だけじゃなく、信頼まで引き継いでる」
🗣️「TOKIOがなくなっても、松岡さんの信頼は消えない。むしろ増した」
💡ここで問われたのは、“看板”よりも“人間力”。
TOKIOというグループはなくなっても、松岡昌宏という“誠実な男”の評価は揺るがなかったのだ。
🟡“謝罪するという行為”がもたらしたもの
📞松岡さんの電話1本が、単なる儀礼ではないことは明らかだ。
それは、“TOKIOとして”ではなく、“個人として”信頼関係を守り続けたいという意思表示。
そして、“去る者の代わりに頭を下げる”という昭和的な義理と誠意。
👉コメントでも最も多かったのは、「 こんな上司がいたら最高」という声だった。
🧭まとめ|看板を外しても、信頼は残る
TOKIOは、終わった。
だが、松岡昌宏という人間が示した“ケジメの姿勢”は、多くの人の胸を打った。
福島県が10年以上かけて築いた関係は、
今後も「TOKIO課」から「松岡課」へ、愛ある継続をしていくかもしれない。
🎤最後に、コメント欄にあったこんな声を紹介したい。
「TOKIOの看板より、“松岡昌宏”というブランドの方が信用できる」
これが、今回の“電話1本”が証明したすべてだろう。